姉の話、過去の事
姉は私から見れば裏表の激しい性格をしている、まぁ今は分からんけど、成人しても変わらずと思ったなぁ。
人の目を気にするんだろね、そして誰に媚びへつらえばいいかを的確に理解していたよ。なんて言うのだろう?力の出す所を心得てたって言うのか…。
何か悪い事をしても、『これは亞津子がやった!私はコレコレしてたらこうなって、亞津子がやったんだよ』と嘘も上手く、姉のやらかした事を私がやった事にされたのは何度もあったよ。
会話もコミュ力もなかった私が当然信じてもらえる訳がなく、"素直に認めない可愛げのないガキ"と言われて、外でも家でも、誰かしらに怒られる日々だった。毎日毎日。
素直で良い子を演じる事ができた姉に、私が太刀打ちできるはずもなく、いくら無実だと訴えても誰も信じてもらえなかったのは、本当に悲しかった。
さらに姉は、母親と一緒に私に危害を加える前は、大人の見ていない所で殴り蹴りや、頭を土だらけの靴で踏みつけたりを繰り返していた。
『どうだ(笑)‼️頭を踏まれた気分はどうだ‼️お似合いだな』
トイレの水をかけられたりもあった。
大人が通りかかると、遊んで私がワザと汚した、って事になっていた。
寝ていても、ワザとお腹を踏みつけられたりもあるから、過去のページにも書いたように、家は決して心を休める場所ではなかったよ。
高校に上がる頃には流石に止んだけど、気の許せるはずがなかった。
母親が毎日パチンコ店に入り浸り、毎日500円玉を置いて『2人で弁当買って食え』と言われて、当時200円ののり弁を毎日買ってたけど、
そう毎日毎日のり弁はキツい。
とうとう姉は500円で自分だけ好きな弁当を買うようになった。余ったお金でおにぎり一個が買えれば良い方で、お金が余らなかったら食べれないので我慢をしていたなぁ。
この件は考えたら、母親が1番悪いんだけどね。保護責任者遺棄みたいなもんだし。
姉がお金を使い切り食べれない時は、外に出て食べる物を探しに行った時期があった。
事情を知った近所のおばちゃんが助けてくれる事もあったけど、スーパーのゴミを漁って食べた。
当時はパックのまま廃棄されていたお惣菜や弁当、パンなどを漁って盗んで食べていたよ。そうしないと食べれなかったから。
だけどバレて問題になり、母親を連れてくるよう言われたことで私がパニックになり、
『お母さんに言ったら傷が増えちゃう‼️お願いだから言わないでください!お願いします‼️お家でご飯もらえないから盗みました!ごめんなさい🙇♀️もうご飯を食べないで死ぬから許して下さい』
と言いながら、服を脱いで傷痕やアザを見せたよ。
スーパーの店長さんや従業員さんらは絶句していた。
そして、
時々同じ時間に、ご飯がない時は来るように言われた。
行くといつも暖かい弁当やスープ、お菓子も用意してくれ、従業員の休憩室で食べさせてくれたよ。そして励ましてくださった。
当時は今みたいに行政が助けてはくれなかったけど、アレがなかったら私はもしかしたら生きていなかったかもしれない。感謝しかない。
姉は世渡り上手だったんだよ、
だから私より姉が信用されて、私の言い分は信用されず"嘘つきな子"が出来上がってさ。
何が起きても諦める癖もついたから、何が起きる度率先して謝罪をしたもんだよ。
大人になっても姉は変わらなかった。
成人したら変わるかも?って思ったのは、私が甘かったんだよ。
今絶縁して、本当に良かった。母親とも姉とも絶縁して本当に正解。