愛されたかったと思った記憶
幼少期の私は、何故母親が私を殴るのか優しくしてもらえなかったのかが、本当に分からず悩み苦しんだよ。
息子を見るとさらに思うよ。息子と接していると、愛情を込めて接する事がどれだけ大切か、愛情を受けることが、どれだけ心満たされるか。
息子を撫でながら、ハグしたりされたり、遠慮なく相手に触れられる安心感、
幼少期の私には絶対なかった。
息子は私が毎日言うように、
大好き❤愛してるよ
って言ってくれる。いやぁ、ありがたいしかなり嬉しい😃
たが、母親は言ってくれなかったなぁ。
グズ、キチガイ、精神分裂病だ!お前なんか産むんじゃなかった!
そんな言葉ばかり、手を繋ぐ事もハグもなく、触るな💢って手を振り払われて、言葉を失うほどのショックを受けたよ。
息子にはたくさんの愛を感じてもらいたいから、態度で、言葉で、心で感じてもらいたいから示してきたよ。これは幼少期に私が欲しかった愛。私がもらえなかった愛を、息子に。
体のあちこちに残る虐待の傷痕は、奇しくも私の戒めになっていて、その時の辛かった記憶を維持してるんだよね。
私が受けた虐待を、絶対に息子に体験させちゃいけない。自分の記憶が辛い事を知っているから。私がこんな気持ちなのに、母親はどんな気持ちでカッターやタバコ、布団たたきで私を虐待していたのだろうか?