もう出来なくなった、私の天職
私は結婚前から、派遣でデパ地下の販売員と調理員をしていた。
人間関係はかなり苦労はしたものの、人と話すことは大好きだったので、クセのある人などのあしらい方を習得した後は、円滑な人間関係を築いていたんだよ。
厳しそうな職人風な人間は、特にいい関係になれていたなぁ。ぐちぐちネチネチな人よりもさっぱりしていて話しやすい、そんでもって信用できる。
妊娠するまで、新宿の某揚げ物店で調理員を中心に働いていたけども、厳しい社員さんと2人でお弁当を作ったりしながら、売り場にも立っていたよ。ホントに楽しくて、天職だと思っていたよ。ずっとこの場所で働きたいなと。デパ地下の仕事に誇りを持っていたし、接客も大好き。
売り場で毎回顔を合わせてくださるお客様がいて、
『あなたに会えて嬉しい』
何て嬉しい言葉だろう‼️って思ったよ。
ありがとう、って言われた時の嬉しさも、言い表せないくらい、原動力になっていた。
こちらが、ありがとうございます😊と言うべきで、ありがとうと返される、そのやり取りは、この仕事が大好き💕って思ったもんだよ。
この仕事に出会えて本当に幸せだった、ずっとこの仕事をやりたかった。
でも私は、元旦那の暴力で聴力や視力にも影響があったので、派遣会社に知られてからはこの売り場が最後なんだろうと思ってた。
派遣会社に暴力のせいで影響があるとバレたとき、当時の店長さんが、
『この子がいないと仕事にならない。どうかこのままいさせてあげてもらえないか?』
って進言してくれて、感謝しかなかった。
妊娠を会社に報告して、程なく退職したけれど、それきりデパ地下の仕事は出来なくなった。さらなる暴力で障害が増えてきた為。
木の椅子で頭を殴られた影響で、この時に電話の声が聞こえなくなった。人の声色が奪われた。片目も色盲になり、両目を使うと、全体的にぼやけた視界となった。
悲しかった。
自分の行き着いた、天職を奪われた気持ち。悔しくて悲しくて。
仕事は選ばなければたくさんあるよ。
あるけれど、自分がコレ‼️っていう仕事に出会えたら、その喜びに気づいたらどんなに幸せな事かと思います。それを奪われた絶望感というか…。
あーこれ、ケガや故障で活躍の場を奪われたスポーツ選手は、こんな気持ちだったのかな?悲しかっただろう辛かったろう、とその時思ったよ。まぁ、スポーツ選手の方が何倍も辛かったと思うよ。
もう叶わないけれど、願わくば、また私に天職だった仕事をさせてほしい。もう一度、一度だけ。好きな仕事ができた、あの喜びをまた感じたい。
転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出