知的障害の息子と発達障害の母ちゃんが生活してるとこうなる⁉️

中度の知的障害の息子と、ADHDの母ちゃんの生活や心境などを綴っています。大体愚痴ですな😅

お前なんか産むんじゃなかったと言われた日

 

良く物を忘れてしまう、言われた事が頭に入らず理解出来なかった子供時代、常日頃から母親から"グズノロマキ◯ガイ"と言われ続けてきたので、当然家が安らげる筈もなくひたすら空気になる事で何とか凌いできた。

 

 

2歳上の姉がいるけど、姉は世渡り上手なところがあり場の雰囲気にある程度合わせられたので、母親から殴られることもなく、気がつけば母親と一緒に私をマウントしてくるようになっていたよ。

 

姉にお小遣いを奪われても、姉が悪い事をした時にも私がやったことにされ、母親に訴えても信じてもらえず、罰として食事なしや夜中に外に出されて、朝まで入れてもらえないといった事もあったなぁ(ダンボールの中で寝てた)。

 

食事を抜かれた夜は、近所の事情を察した方からもらえていたので、今思うと本当にありがたかった。この人がいなかったらかなりひもじい思いをしていた。

でも、立ち退きで引越ししてしまうと決まった時、

 

『そばに居られなくなってごめんよ、ご飯もらえない時はこれで食べるんだよ。絶対に見つからないようにね。少しずつ使うんだよ、いいね』

 

と言って、当時大金かと思うくらいのお金を渡してくれた。お金の音がしないように、テープやビニールで包まれたのを覚えてる。

 

丹念に5枚ずつ包んでくれて、見つからないようにしてくれた。本当にありがとう。

そのお金のおかげで、小学校の間は食事を抜かれてもへっちゃらだったし、普段から母親はパチンコに行ってしまうので毎日テーブルに500円が置かれていたので、毎日そのお金で姉と海苔弁←当時200円を買って食べてた。

 

 

私の特性のせいで、母親は私を見るたびにイライラしていたと思う。

 

何度言っても理解出来ない、喜怒哀楽も乏しかったので気味悪がられていた上に、目を合わせただけで布団たたきが折れてしまうまで殴られた。本当に地獄なんだって思った。

 

まぁ今思うと、母親にとって私は"愛したかったが愛せない子"だったのではと思うけど、

 

でも、愛されたかったな。

 

 

姉みたいに可愛がられたかったなと、あの当時は強く思ったけど、結局叶わず💦

 

『お前みたいなクズ、ほんっとお前なんか疫病神なんだよ!氏ねお前なんか‼️産むんじゃなかったよ、お前みたいなキ◯ガイ』

 

 

それを聞いた時、本気で消えちゃいたいと思ったよ。氏ねばきっと生まれ変わって幸せになるんだと、当時小学校二年生の頃に思った。涙が溢れていっぱい泣いたなぁ。