ハッピーターンの粉を愛する男
ハッピーターンってあるでしょ?
息子はアレの粉が大好きで、小さい頃は煎餅部分は食べずあの粉のみを舐めまくり、コンビニで250%粉が増量されたハッピーターンを見た息子は、歓喜の雄叫びをあげる。
…粉増量なんて、なんて危険な商品を作ったのか⁉️って思ったよ。
今はハッピーターンの煎餅部分も食べてくれるけど、小学部に上がる前は舐めてふにゃけた煎餅山積みにされたなぁ。
そういやクックパッドで、ハッピーターンの粉のレシピがいくつか載ってたなぁ。ホントに再現されてるかは分からん。
分からんけど、もし当時に見つけてたら作ったかも?
でも粉だけ出しても多分反応しない可能性大だよ。あの煎餅のビジュアルも息子には必要だろうからなぁ。
YouTubeチャンネルの紹介をば
私が作ったのではないんだけど、SNSで知り合って友達になった子のYouTubeチャンネルがあるから、本人の許可を得て紹介するっス。
これは、自身が知的障害者で生きづらさや生活面で難しい事も赤裸々に話しちゃってるんだけど、
当の本人が、障害について広く理解してもらいたいっていう強い気持ちがあって(使命感かもね)、
自分のようなハンデがある人は、こういう事ができずに困る事がある、だから自分たちのような障害を知って理解を深めてほしい。
って気持ちがあって、自分の気持ちをハッキリと言う事のできる、私の知る知的障害者の中ではダントツの行動力の持ち主なのだよ。
動画で一番ビックらこいたのは、動画を編集しているって事‼️
オレできねぇもん!
意外にそういう細かな事は苦手でのぉ、私が彼女に教えてもらいたいくらいだよ。バイタリティの成せるワザ❣️って感じだろうかな?
彼女のやろうという気持ちが本物だなと思い知ったというかさ。
覗いてみて、普段近くにいるハンデのある人を見守るよう、困っていたらちょっとお手伝いをしてもらえたら嬉しいですな。
ストレスに弱い
お題「#この1年の変化 」
乗り鉄な息子は、思うような遊びも出来なくなり、息子はかなり鬱憤が溜まり暴れてしまう率高くなったんだよね。
仕方なく放課後デイの責任者さんに相談すると、
"コロナ禍ではあるけれど、予防しながらお出かけさせた方が息子ちゃんには必要かもしれませんね💦"
という事で、マスクに手洗い消毒を徹底しながら乗り鉄活動をしてきたよ。
うちの子のみならず、知的発達の障害があると、不測の事態にも対処しにくい。というかいつも通りを切り替えて行動する事が難しく、毎日いつも通りの事をしないと次に行けない、って特性を持つ人もいる。
それが食生活にも影響して、いつも食べてるいつものメーカーの品が大事。
似たような品はいつものとは認められていないんだよ。
だいぶ今慣れてきてるけど、マスクをさせるだけでも戦場にいるかのような壮絶さで、定着させるのに何個青たんを作ったことか😅
私の場合は、ひたすらコロナさんを話の話題に据えて、息子にコロナを意識させる試みを続けてる。
が、それがうまくいってるかは分からないんだなぁ。無反応だし。
それでも出かけるたび、コロナ対策の文字を見つけ息子と見るのも、意識させる試みの一つ。
あんまり効果が期待できないという布マスクも、息子の興味を沸き立たす品なので、積極的に購入してるよ。
猫マスクウサギマスクとか、可愛いモノ好きな息子がマスクに親しむいい商品だよ。
今のご時世は、長く続いてるけど終わりは必ずくると思う。そのままってことにはならないと。
だからまだまだ頑張る💪
携帯を紛失した
息子学校を休んだので、気分転換に出かけてみたらば、携帯がない❗️出かけ先で無くすとか初ですたい。
仕方なく急遽ショップに行き、端末を捜索してもらう。が、
検索に全く引っかからない💦
しかもどこで紛失したかも定かではなく、状況的にただの紛失とは言い切れない可能性もありって事で、警察に届けを出すのと、
早々に端末捜索をプチ断念し、使用停止の後、機種変スタート。
まぁ壊れ気味だったのを騙しながら使ってたから、まぁ仕方ないという事で。
ただめっぽう時間食ったんだよ、息子が限界寸前。
ついでに料金を安くします、全体的に負担する金額を軽減できます!っつー店員さんの意見に従い、息子のスマホもまとめて契約する事に。
まぁいっか、息子の一人歩きの際にキッズ携帯契約しよっかと思ってたしなぁ。
ただ、
5Gの使い方がよくわからない(⌒-⌒; )どうやって活用するんスか?
翌日も学校に行けなさそうだったので、今日も休んで、予定にあった計画相談をしに、息子も連れてったよ。
計画相談は、放課後デイとかを利用する為に、一年ごとに作らにゃいけない書類があるんだよ。デイを使う為には必要でさ。
相談支援員さんも息子と面識もあり、大好きだからウキウキしながら、
『…おはよう、ございま…せ〜ん😁』
って言うてましたさ。
それが終わったら次は交番に。
遺失物紛失届を出してきたよ。
書類を書きながら、息子の特性の話になり、その流れで回転寿司の話になってたんだけど、
息子の特性上、いつも同じ寿司になるって話したらお巡りさん、
『僕も行くと、いつも同じモノ攻めますね、変にアレンジした寿司で失敗したくないんでww』
あー、私新しいもので失敗した覚えがあったなぁ🤭
某チェーン店のベビースターを使った軍艦巻き、んまくなかったもん。
お巡りさん、あーた面白いのぉ🤣
その後は息子を、リアル路線バスの旅をさせて、最後にお弁当を買って帰ったよ。
気分転換できたかな?
鬼なら常に
今週のお題「鬼」
家や学校で節分をやった記憶がないから、まぁやってないんだろね。
つか鬼なら家にいるから、鬼は外福は内!ではなく、全くの逆だったよ。
悪い事をしただけでなく、母親の虫の何所が悪かった時にも容赦なく、季節も関係なく外に出されて、時には朝までそのままだったりもあったよ。
鬼は内福は外だったね。
外に出されてる時間はとっても孤独で寂しくて、でも中にいるよりは痛い事もなく安らかな時間になっていた。
ただ、真冬で一晩耐えなきゃいけない時は、かなりキツかったよ。
"私の本当のパパママが迎えに来てくれるかもしれない。
本当のパパとママに会いたいな、
あったかいだろうな、たくさん一緒にいれるんだよね。早く来ないかな^_^"
って思ってたけど、残念ながら本当の親は家の中で寝てる。
一晩外にいる時はいつも自転車カバーを被らないといけなかった。
でも、破れたカバーの隙間から見る空は好きだったなぁ。慣れるにつれ、むしろ出された方が安心する時間になってたから、皮肉なものだよ。
でも思うよ。
鬼でもいい👹、連れ出してくれたら今より幸せだったかもって。もしかしたら最悪の結果になっていたとしても、ひと時は私の心は幸せに包まれるかもしれない。私が欲しい安寧があったかも。それだけ追い詰められていた。
もし、私があの頃に戻っていたら、
もしあの状況に戻っていたならば、私は施設行きを希望して交番に行くだろう。
そしたら、節分に『鬼は外福は内』が言えただろうと思うよ。
姉の話、過去の事
姉は私から見れば裏表の激しい性格をしている、まぁ今は分からんけど、成人しても変わらずと思ったなぁ。
人の目を気にするんだろね、そして誰に媚びへつらえばいいかを的確に理解していたよ。なんて言うのだろう?力の出す所を心得てたって言うのか…。
何か悪い事をしても、『これは亞津子がやった!私はコレコレしてたらこうなって、亞津子がやったんだよ』と嘘も上手く、姉のやらかした事を私がやった事にされたのは何度もあったよ。
会話もコミュ力もなかった私が当然信じてもらえる訳がなく、"素直に認めない可愛げのないガキ"と言われて、外でも家でも、誰かしらに怒られる日々だった。毎日毎日。
素直で良い子を演じる事ができた姉に、私が太刀打ちできるはずもなく、いくら無実だと訴えても誰も信じてもらえなかったのは、本当に悲しかった。
さらに姉は、母親と一緒に私に危害を加える前は、大人の見ていない所で殴り蹴りや、頭を土だらけの靴で踏みつけたりを繰り返していた。
『どうだ(笑)‼️頭を踏まれた気分はどうだ‼️お似合いだな』
トイレの水をかけられたりもあった。
大人が通りかかると、遊んで私がワザと汚した、って事になっていた。
寝ていても、ワザとお腹を踏みつけられたりもあるから、過去のページにも書いたように、家は決して心を休める場所ではなかったよ。
高校に上がる頃には流石に止んだけど、気の許せるはずがなかった。
母親が毎日パチンコ店に入り浸り、毎日500円玉を置いて『2人で弁当買って食え』と言われて、当時200円ののり弁を毎日買ってたけど、
そう毎日毎日のり弁はキツい。
とうとう姉は500円で自分だけ好きな弁当を買うようになった。余ったお金でおにぎり一個が買えれば良い方で、お金が余らなかったら食べれないので我慢をしていたなぁ。
この件は考えたら、母親が1番悪いんだけどね。保護責任者遺棄みたいなもんだし。
姉がお金を使い切り食べれない時は、外に出て食べる物を探しに行った時期があった。
事情を知った近所のおばちゃんが助けてくれる事もあったけど、スーパーのゴミを漁って食べた。
当時はパックのまま廃棄されていたお惣菜や弁当、パンなどを漁って盗んで食べていたよ。そうしないと食べれなかったから。
だけどバレて問題になり、母親を連れてくるよう言われたことで私がパニックになり、
『お母さんに言ったら傷が増えちゃう‼️お願いだから言わないでください!お願いします‼️お家でご飯もらえないから盗みました!ごめんなさい🙇♀️もうご飯を食べないで死ぬから許して下さい』
と言いながら、服を脱いで傷痕やアザを見せたよ。
スーパーの店長さんや従業員さんらは絶句していた。
そして、
時々同じ時間に、ご飯がない時は来るように言われた。
行くといつも暖かい弁当やスープ、お菓子も用意してくれ、従業員の休憩室で食べさせてくれたよ。そして励ましてくださった。
当時は今みたいに行政が助けてはくれなかったけど、アレがなかったら私はもしかしたら生きていなかったかもしれない。感謝しかない。
姉は世渡り上手だったんだよ、
だから私より姉が信用されて、私の言い分は信用されず"嘘つきな子"が出来上がってさ。
何が起きても諦める癖もついたから、何が起きる度率先して謝罪をしたもんだよ。
大人になっても姉は変わらなかった。
成人したら変わるかも?って思ったのは、私が甘かったんだよ。
今絶縁して、本当に良かった。母親とも姉とも絶縁して本当に正解。